私の就職遍歴 4 通勤が1時間30分 板金工場勤務

2023年3月19日

バイクショップの仕事を退職し、次に向かうは製造工場。食品の製造工場ではなく、板金工場および射出成型工場に勤務することとなりました。一言で板金工場と言いましても何とも言えませんが一枚の鉄板の板1800㎜×900㎜をレーザー切断複合機で穴をあけたり、タップを切ったり、ある形に切ったりして加工して、その後ベンダーという機械でその鉄などを曲げて加工して形を整えて、最後に曲げて加工したものなどを溶接やネジなどで形に整えて出荷するという流れで仕事をしていました。射出成型の工場はその工場の隣に設置してあり、埃やごみなどが工場内に入らない様に注意しながら加工していました。私はその板金工場に約5年、射出成型工場に約2年くらい在籍していました。ちなみに鉄板の他にSUS430やSUS304、銅、アルミ、ボンデ材またはプラスチックの板まで加工していました。

入社してすぐに私はまずASSY部門というところに配属になりました。こちらは最終工程の段階の所です。図面を見て部品を集めて溶接や部品を取り付けて仕上げる部門です。そこに配属なったのですが2週間たった頃、新しいベンダー機が導入されるので操作してみない?という上長のお誘いがありまして、これは認めていただけるチャンスと思い、すぐに「やります」と返答しました。その後5年間という長い期間その部署に携わっていく事になりました。

ベンダー部門はレーザー切断複合機から切断されたものを曲げて加工してASSY部門に流すという会社でいう中間管理職的な役割を持っていました。その時はあたらしいベンダー機を導入する意味が分からなかったですが、仕事を始めて改めて現状のベンダー機と比べてみると明らかに違いが分かるようになりました。現状のベンダー機はすべて手動、多少なりのコントローラーはありましたがデータを保存できることなどありませんでしたが、新しいベンダー機は加工データを別の人が作成して、加工は作業者が行うというシステムで作業者があまり考えずに加工することができるという優れものでした。本来のベンダー作業者はレーザー切断複合機から流れてきた加工品をまず図面を見て確認、穴、カット、裏表の確認、すべて確認した所で曲げる加工をしていくのですが、その加工に対してどの金型を使うのか、どこから曲げるのか、何回曲げるのか、ここを曲げるだけで金型を交換する必要があるとか、要は頭で形を思い浮かべて加工を開始していくのでこの辺りで時間がかかってしまうのです。結局熟練の技が頼りになってしまうのです。しかし新しいベンダー機は作業者以外が曲げる順番を考えてどの金型を使って、どこから曲げだすのか、どの金型を使うのかなどは考える必要がなく作業に集中できるのでとても早く加工することができるわけです。熟練の技は必要なく誰でもちゃんとしたデータがあれば曲げる加工ができるということになるのです。結果そのベンダー機が優秀ということで現在のベンダー機はすべて新しいベンダー機に変更することとなっていきました。かなりのコスト削減ができたと思われます。設計の方が設計をしてすぐにデータを作成する人が曲げるデータを作成してみて、できなければ設計変更、できればそのまま進めるというように一度鉄板から加工する前に判断ができるので材料を無駄にすることがなくなりました。それと曲げ回数を増やして曲げることがわかれば次工程のASSY部門の負担を軽くすることができます。機械を導入したことによりかなりの導入資金がかかりましたが結果として全体的なコストダウンにつながっていきました。

その後順調に仕事をしていましたが、私がわがままを言って他の部署に異動したいと熱望したことで、晴れて部署移動となりました。今度の部署は射出成型工場のオペレーターになります。射出成型とは射出成型の機械に金型という大きな金属の塊を取り付けその金属の塊に向かって熱で溶かしたプラスチックのドロドロになったものを圧力をかけて射出して形を作りその金型内で冷やして取り出すという感じです。機械は大きいものから小さいものまでさまざまな機械がありました。射出成型は非常にシビアな点もありますがそうでないところもありました。成型するにあたり、この部署ではすでにデータを自分たちで管理して、金型の取付などを間違えなければ誰でも成型できるようになってました。すでに女性が何人も活躍していたことを覚えています。金型の取付、取り外しは男性メイン、射出成型の入力や流れてきたものを処理するのは女性というように分担ができていたので非常にまとまっていました。かなり気温や金型に付ける水温によって成型品の質が変わってきますのでほぼ一年中同じ気温、湿度を保っていました。ごみやほこりが入らない様にカーテンを取り付けたり様々な工夫を施していて以前いた部署とは全く違う工場の質でした。

そしてそこで2年くらい仕事をしていましたが、実はこの工場まで家から車で片道1時間少々かかって通勤していたのです(今更ですが)。いつも通勤に通るある会社を見ていたら朝は私の出勤時間にそこは動き出して、夜、私の帰宅時間にはその会社は営業を終了しているのを見ていたら1時間もかけて通勤することがなんかムダ、もったいない感じがしてしまって、、、 で、会社を退職しました。退職前にハローワークに通っていたのですが、すでに年齢が高かったので(この時40~41歳)どこも雇ってくれない状況でした。かなり現実は厳しかったです。それ以上に会社を退職したかったのでいろいろ探していたら通勤に通るある会社の求人が出ていて、駄目元で応募したところ、面接をしていただけることになり、すぐに有休をとって面接へ、、、その場で合格。とんとん拍子過ぎて怖いですが我ながら自分の運は凄いなって思っていましたが、、、、とんでもないところに就職してしまったことはその時は全く思っていなかった、、、、また続きは後日投稿いたします。

私はこの工場のおかげでいろいろなことを学びました。            

第一に私はこの工場で一人の友人と知り合うこととなりその友人のおかげでパソコンに目覚めたのです。以前までパソコンなど触ったことなどなかったのですが、パソコンの素晴らしい性能や機能などを教えていただきました。その友人とは会社退職後は全く連絡も取らず現在に至ります。元気でやっていることを願っています。  

第2に勤務6年目のある時、新入社員が中途採用で入社してきたのですが更衣室でたまたま一緒になり、話をしたところ家の方向が同じということが判明。飲みに行きましょうと誘われて行きだしたのがきっかけでお酒が飲めるようになりました。いまだにこの友人とは飲みに行ける時があれば行くようにしています。

第3は射出成型の工場ではフォークリフトの資格が必要となるので40歳のころ取りに行かせていただきましたのでフォークリフトの資格を持っています。

第4はいろいろな測定器を触ることができ、図面の見方など今後役に立つ(今後どうなるかわからなかったが、、、)ようなことを学ばせていただきました。

とにかく一枚の板から加工品を作るという楽しい仕事をしていました。よく考えたら凄いなって思います。もし工場勤務をするのであればこのような感動を常に胸に秘め誇りをもって仕事をすると良いのかなと思います。一人ひとりが自分の仕事をすることによって製品が生み出されていくので、、、、、

本日もご愛読ありがとうございました。